「相手の表情や言葉のニュアンスを感じ取り、配慮することがごく当たり前の繊細さん」

武田友紀さんの『「繊細さん」の本』より

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人に対して「配慮に欠けるなー」と思っていることがよくある。
人に対する接し方で、自分に対してじゃなくても、
なんで、そんな言い方? なんで、そんな態度? そんなこと言っちゃうんだ…
などなど、その人のことを冷たい人って感じてしまう。

最初は「配慮に欠ける人」を冷たいとか、もしかして意地悪なの?とか疑う目で見るけど、
他の人は、その配慮に欠ける人のことをさほど気にしていないことにも気づく。
すると、そんな感じ方をしてるのは自分だけなんだ…と思えてくる。

自分だけが、その「配慮に欠ける」人に違和感を感じる。
ということは、私が神経質でおかしいんだと落ち込む。

人に配慮できることはいいことなはずなのに、
配慮に欠ける人を見ては、ストレスに感じてしまう。
行きつく先は、自責。


そうかと思えば、神経質な私にも配慮できていないことはあって、
他のHSPさんの配慮に追いつけないことがあった。


私には、非HSPさんよりは神経鋭敏で、配慮できてる何かの分野はある。
でも、HSPだからといって、全部のことが配慮できるわけではなく、
HSPさんそれぞれが、配慮している部分にも個性があることを感じるようになった。



自分があまり気にしてない部分で、芸術的なまでに配慮できているHSPさんに出会った時、
HSPという同じ傾向があったとしても、
気にするところや、気になるところがみんな違うんだなって、
当たり前のことに気づくことができた。



「世の中を見渡してみると、繊細さんの「ごく自然に配慮する」という行いの方がハイレベル
という武田友紀さんの中の言葉に深く納得しました。



他人と比較して、自分の方が間違ってるんじゃないのか?とか、
相手が配慮に欠けるんじゃないか?とか、考えてしまっていたことが
自分を苦しめていたと気づきました。

違いに対して敏感に感じることがストレスなのではなく、
その違いに対してどっちが正しいとか間違ってるとかいう考え方、思考が
自分にストレスを与えていた。

みんな違うことが当たり前で、それでいい。
他人と比較して、違いを認め、それぞれで良しとしていけばいい。
その上で、こちらの考え方や感じ方を伝えたり、
距離の取り方を工夫すればよいのかもしれないと思えてきました。


配慮できることは素敵なことだし、
それで人を幸せにすることもあると思う。

配慮できないと、
場合によっては、人に迷惑をかけるのかもしれない。


でも、その配慮の基準がHSPは「ハイレベル」かもという自覚はあってもいいと思う。
そのハイレベルを標準にして世の中を見てしまうと、
疲れてしまうのは、ただただ自分だなと思った。









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